馬ドーピング事件:CAS 2020/A/6853


馬ドーピングといえば、2006年の凱旋門賞に出走したディープインパクトが3着に入るも、禁止薬物使用で失格となった事案が思い出されます。

WADA規程でも動物を使った競技について、動物のドーピングが想定されていますが、禁止物質等を含め国際競技連盟(IF)がWADA規程に沿ってルールを定めることとされています。

事案の概要

国際馬術連盟(FEI)に登録している障害馬術(jumping)のプロライダーS選手(スイス)は、”SAURA DE FONDCOMBE“号とともに、2017年10月にモロッコで開催された大会に参加して優勝し、ドーピング検査を受けました。

馬の血液検体が採取され、分析した結果、オピオイド系鎮痛薬であるトラマドール(Tramadol)の代謝物が検出されました。トラマドールは一般的に激しい痛みを緩和するために人間に使用される麻薬性鎮痛薬ですが、FEIの2017年禁止表で禁止薬物とされていました。
検出されたトラマドールの代謝物の濃度は、0.5ng/mLでした。

FEIのアンチドーピング規程に従って、S選手は、2017年11月9日に暫定的資格停止とされ、馬も同日から暫定的資格停止とされました。

その後、S選手は、2017年11月20日、B検体の分析を要請しましたが、A検体の結果と同様陽性となりました。

また、S選手は、暫定的資格停止の解除を求めましたが、FEIパネルは、2017年12月22日、S選手については暫定的資格停止を維持し、馬については暫定的資格停止を解除しました。

2018年8月8日、FEIパネルは、本件の陽性結果はコンタミネーションによる可能性があり、例外的事情に該当するとして、S選手の暫定的資格停止を解除しました(この時点で資格停止は9か月のに及んでいました)。

2020年2月24日、FEIパネルは、S選手に対し、2年の資格停止及び7500スイスフランの罰金(約85万円)等を科しました。暫定的資格停止期間を踏まえて、資格停止が解かれるのは2021年5月23日となりました。
禁止物質が馬に入ったソースを立証できなかったようです。

S選手は、CASに不服申立をしました。

CASにおける和解

当初当事者はそれぞれ仲裁人を指名して争う姿勢でしたが、手続き中に和解が成立したことから、CAS規則R56に従って、2020年6月18日に和解解決となりました。

この和解内容が興味深いです。

和解の冒頭に何故馬に禁止物質が入ったかが詳しく書かれています。その内容を読むと、なぜ和解に向かったかがよく分かります。

何があったかかいつまんでいえば・・・

  • S選手側の調査で、馬に禁止物質が入った原因と考えられるものは2つ。1つは表彰式の際に人から馬に汗を通じて伝染した、もう1つはモロッコの水が汚染されていた。しかし、これらを証明する証拠はない
  • S選手側がさらなる調査を続け、馬に接する可能性のある関係者から事情聴取をしたが、トラマドールの原因となる者はみつかなかった。
  • S選手側はさらに家族やスタッフからも詳しく事情を聴取した。
  • そうした中、S選手のサポートスタッフの一人が、ヨーロッパからモロッコへ馬を車で輸送した際、背中の痛みを和らげるためトラマドール錠剤を摂取したことを自白した。
  • S選手は、2016年から何度もこのサポートスタッフと働いており、信頼していた。
  • このサポートスタッフは、細かいことは思い出せないが、モロッコに到着した後、馬トラックの中で小便をしたことを告白した。当初はこの行為がドーピングに関係しているとは思わなかったが、調査が進むにつれ、自分のプロとして評判が損なわれ、首になることを恐れたため、言い出せなくなった。
  • 事案発生から2年半が経過して詳細を思い出すことができないが、このサポートスタッフは自分の行為がドーピング違反の原因であることを認めた。
  • 具体的には、モロッコに到着した馬は、馬小屋の馬房の準備ができるまで解放された。この間、馬は馬トラックの中で干し草を食べたり水を飲んだりした。馬房の準備ができた時に、馬が馬房に移動するとともに、馬トラックにあった干し草も馬房に移動した。この事実は、サポートスタッフの小便で汚染されたおそれのある干し草を馬が摂取し、それが陽性の原因となった可能性があることを意味する。
  • FEIの専門家は、この日にサポートスタッフが50-100mgのトラマドールを2錠摂取し、その日のうちに排尿した場合、検査日(5日後)に馬の血液検体から0.5ng/mLの代謝物が検出される可能性が高いことを確認した。

というものでした。

事案発生からFEIの処分まで長い感じがしましたが、いろいろと調査をしていたのですね。その結果、信頼するサポートスタッフが原因だったと分かったS選手の気持ちは複雑でしょうね。

こうして双方当事者とも原因に合点がいったこと、S選手が馬ドーピングの防止にいかにケアしており、過去に違反もないことなどの事情も踏まえて、S選手に「過誤・過失なし」として、2年間の資格停止処分は撤回されました。

 

まさに「灯台下暗し」事案です。

禁止物質がでてしまえば、ドーピング違反は基本的に覆りませんが、資格停止期間をなしあるいは短くするために、アスリート側で、どのように禁止物質が体内に入ったかを証明しなければなりません。

そのためには、あらゆる可能性を疑って、証拠を探るという作業をする訳です。実際、それはないだろうと思っていたところが原因だったということはありました。

本件の場合もこのサポートスタッフにも事情聴取しているはずですが、本人が言わなければ、気づけない事実ですので、手に負えませんね。
このサポートスタッフは良心の呵責から告白に至ったと思われますが、そこ頼みにならざるを得ません。

日本で生じたカヌーでのパラドーピング事件も禁止物質を入れた選手が告白したから、入れられた選手が救われた、ということがありました。

アスリートに対するアンチドーピング研修は多く実施されていますが、こうしたサポートスタッフにもアンチドーピング教育を十分に施す必要があるように思います。

弁護士大橋卓生