ドーピング:ローソンCaseと藤森Case


孫楊Caseの後、CASからローソン選手(陸上)と藤森選手(水泳)のドーピング上訴仲裁の裁定が続きました。

両ケースでは、選手側は検査前日に食べたものに禁止物質が混じっていたと主張しており、意図的に摂取したものではないとして原処分の軽減を求めたものでしたが、CASでの結論が対照的でしたので、それぞれの原処分の内容をみてみました。

■ ローソンCase

《概要》
2018年 4.11 ドーピング検査→陰性
5.20 セイコーゴールデングランプリ(大阪)に出場
(ドーピング検査→陰性)
6.2 米国アーカンソー州スプリングデールにて、競技会外検査実施
6.14 上記競技会外検査で採取したA検体からEpitrenbolone検出
6.21 USATFナショナルチャンピオンシップ(米国)に出場
7.13 ラバト(モロッコ)にて大会出場
7.17 ソットヴィル・レ・ルーアン(仏)にて大会出場
7.22 ロンドン(英国)にて大会出場
8.3 国際陸上連盟のAthletic Integrity Unit(AIU)が選手に陽性通知
    →暫定的資格停止
8.9 B検体の検査が実施され、A検体の結果を追認
8.20 AIU→選手にB検体検査結果を通知
9.7 AIUにて選手の聴聞実施
(この間、AIU-選手間で証拠のやりとりなど)
2019年 2.27 AIU→選手に懲戒手続の通知

《禁止物質》
EpitrenboloneはステイロドであるTrenbolone(トレンボロン)の代謝物です。

Trenbolneは、米国の非有機肉牛の成長促進剤として使用されるようで、米国食品医薬品局の承認を得て米国家畜産業で合法的に使用されてきたようです。

2018年当時のWADAの禁止表で、Trenboloneは非特定物質に分類され、選手側が意図的な摂取でないことを証明しない限り、4年間の資格停止が課されることになります。

なお、ローソン選手から検出されたEpitrenboloneの推定濃度は、A検体で0.65ng/mL、B検体で0.8ng/mLでした。Trenboloneには閾値が設定されていないので、微量でも検出されればアウトということになります。
※”ng/mL”(ナノグラム)は10-9g(10億分の1グラム)です。

検体から禁止物質が出てしまった時点で、検体が他人のものとすりかえられていなどよほどのことがない限り違反は免れません。
そうした特殊な事情がない限り、選手側としては、まずは禁止物質が体内に入った経路を証明し、その摂取に過誤・過失あるいは重大な過誤・過失がないこと、を証明して、資格停止期間の取消ないし軽減を主張することになります。

《選手側の主張》
検査の前日(6.1)に米国アーカンソー州フェイエットビルのレストランで、アレクシス・マケイン女史とランチで食べたテリヤキ牛丼(Teriyaki Beef Bowl)に入っていた牛肉が汚染(禁止物質が混入)されていたとし、意図的な摂取ではなく、過誤・過失がないことを主張しました。

その証拠として様々なものが提出されており、同種事案の参考になります(ポール・グリーンさんが代理人です)。

証拠の中で、毛髪鑑定結果というものがありましたが、これは他の可能性を消すために、常用していない証拠として提出されていました。

《原処分》
IAAFのドーピング違反手続は、AIUが検査官役を担い、英国スポーツ仲裁機構Sports Resolutionが裁判所役を担うこととなっています。完全な第三者に判断を委ねるという体制です。

スポレゾの証拠評価はシビアな印象です。

選手の立証の拠り所は、2人の専門家証人ですが、これら証人の証言を徹底的に叩いている印象です。

毛髪鑑定は、8月14日に実施され、その結果が陰性であることから、専門家証人の一人は、選手がTrenboloneを繰り返して摂取していないと結論づけました。

しかしながら、パネルは、AIU側の専門家証人の証言(毛髪鑑定の限界など)を踏まえて、1回の使用や低量の使用が除外できていないなどと指摘しました。

もう一人の専門家証人(生化学者)は、ローソン選手の検体から検出されたEpitrenboloneの濃度が低すぎて、合法的にTrenboloneを投与(耳の後ろから投与するなど)された牛の肉を摂取したものではないが、そうでない方法で投与された牛の肉を摂取したもので、十分な証拠と公開された科学的データがある、としていました。
※耳の後ろから投与することで体全体に回るようで、そうでない場合は注入された部位とそのまわりの肉だけに効果あるようです。

しかしながら、パネルは、その専門家証人がアスリート擁護の発言をしたことや理由付けが、低濃度のほか、これまでのドーピング検査歴(陰性だったこと)、リスクテーカーではなかったこと(危険なサプリなど摂取していないということかと思います)、意図的に摂取したことによって失うものが大きすぎる(スポンサー契約など)、これまでの成功からズルをする動機がなかったことなど、科学的な根拠に基づくものでなく、専門外のことを証言していると指摘しました。

そういう難点はあるが、一応、非合法にTrenboloneを投与された牛の肉を食べたという方向で考えるとしても、単なる可能性ではだめで、証拠の優越の程度にそれが証明できなければ、立証したことにはならないとしました(WADA規程でアスリートの証明の程度の原則どおりです)。

その証明を難しくしているのは、1)選手が食べた牛肉あるいはそれと同じパッケージに入っていた牛肉を検査できないこと、2)AIU側の専門家証人の証言の存在でした。

AIU側の専門家証人曰く、米国ではTreboloneが厳しく管理されており、その使用を監視している当局は違反の問題を報告していないこと、選手側のTrenboloneの投与の主張は肉牛の生産に逆効果で生産者に利益にならないこと、またそうした投与はかなり難しいこと、そうした投与により肉が築き、流通過程で発見されるはずであることなど。

選手側の専門家証人は、選手が食べた牛肉がメキシコなど他国産(レストランのオーナーがブラジル人)である可能性を指摘していましたが、パネルは、他国産の牛肉を米国産として偽装表示した証明がなされていないと指摘しています。

選手側はTrenboloneの検出(低濃度)によるドーピング違反の先例(CASではなく原決定)をいくつか挙げて、その傾向を踏まえて処分の軽減を求めましたが、パネルは、米国産の牛肉の例はないことや証拠が開示されていないことなどと指摘して、その主張を排斥しました。特に、ITF(国際テニス連盟)などのアンチドーピングパネルの決定に関しては、独立した審査機関ではないことも理由としていたことが印象的です。

結局、パネルは、侵入経路の立証ができておらず、意図的でないという立証もできなかったとして、原則どおり、4年間の資格停止、としました。

《CASの裁定》
選手側からCASに上訴したものと思われますが、結論からいえば、CASのパネルは、満場一致手で、選手側の主張を認め、摂取は意図的ではなく、選手に過誤・過失もないとして、資格停止期間は取り消されました(ドーピング違反ではあります)。

新たな証拠が追加されたのか、証拠評価が変わったのかは、裁定が公開されたか確認したいと思います。


■ 藤森Case

《概要》
2018.12.11 世界短水路選手権(中国・杭州)
200m個人メドレー決勝
→初めてのドーピング検査(陰性)
12.14 世界水泳選手権(杭州)100m個人メドレー
→2回目のドーピング検査 
2019.1.16 上記2回目の検査のA検体からMethylephedrine検出
2.11 FINA→選手にA検体の検査結果通知
2.13 選手はこの日以降の大会産を自粛
3.27 B検体がA検体を追認→暫定的資格停止

《禁止物質》
Methylephedrine(メチルエフェドリン)は興奮薬で、2018年当時、WADA禁止表では、競技会時に禁止される特定物質として分類されていました。特定物質の場合、アンチドーピング機関側が意図的な摂取であることを証明しない限り、原則として2年間の資格停止処分が課されることになります。

なお、Methylephedrineは、閾値が設定されており、10μg/mLを超えた場合に違反となります。
※μg/mL(マイクログラム)は、10-6g(100万分の1g)です。

本件では、16μg/mLが検出されています。

咳を止める効能があるようで、市販の風邪薬など広く用いられているようです。

《選手側の主張》
選手側の主張として、1)過去にドーピング違反がないこと、2)意図的な摂取でないこと、3)ドーピング違反にならないため行動していたこと、4)自身が摂取していたサプリメントをすべて検査したが、いずれも原因とは認められなかったこと、5)メチルエフェドリンはサプリメントや医薬品に一般的に使用されており、選手はJADA認証のサプリメントしか摂取しておらず、12月11日検査を受け14日も検査を受けることが予想されたことから摂取しようとするはずないことなど、です。

原因が分からず、苦労したことが分かります。

《原処分》
決定書のはしばしから、なんと選手を救いたい(東京オリンピックに参加できるようにしてあげたい)というパネルの想いが伝わってくる内容です。

冒頭、あまり見たことがありませんが、パネルは、”Nature of The Case”として、いかに選手が誠実に行動していたか ー原因特定のために努力を尽くしたこと、Methylephedrineを含んだ風邪薬を飲んだと嘘をつけば、処分が軽減されたかもしれないのに、彼はそうしなかったことなどなどーを述べ、でも原因が特定できず、ルール上、処分を軽減できないと訴え、WADAやFINAに寛大な処分を検討するよう、訴えています。

ローソン選手の事案と同じように、処分の軽減のためには、禁止物質が入った経路の特定が必要になりますが、摂取していたサプリメントからも何も出てこなかったということで手詰まりになってしまったことが決定書を読んでよく分かります。

似たような事案を担当した際、香水やシャンプーなども疑ったことがあります。何がどこから体に入ったか、その可能性をすべて洗い出すことは難しいです。特に時間が経てば経つほど記憶が薄れていきます。

この点、パネルは、検査機関がA検体の陽性を発見してから、選手に通知するまでに2か月を要しており、この遅れによって選手の記憶が薄れてしまった点をもって、特殊な事情として寛大な処分に結びつけられないかと自問しているところがあります。

2018年当時の検査機関に関する国際基準では次のようにされていたとパネルは指摘しています。

“reporting of “A” Sample results should occur within ten working days of receipt of the Sample. The reporting time required for specific Competitions may be substantially less than ten days.”

この点は、ローソンCaseでも、検査機関がA検体陽性を発見してから選手の通知まで2か月弱要しており、パネルは国際基準からの明確な逸脱はない、と判断していますし、本件でも明確な逸脱として検査無効とまではしていません。

結果として、侵入経路の立証ができていないため、資格停止期間は2年となりました。

《CAS》
選手側からCASに上訴したものと思われますが、結論からいえば、CASのパネルは、選手の主張を認めず、原処分を維持しました。

これにより、2年間の資格停止処分となったため、東京オリンピックに参加する可能性が断たれたことになります。

本件もCASの裁定書が公開されていないので、詳しくは分かりませんが、プレスリリースによれば、選手は、検査前日に食べた「おにぎり」に禁止物質が入っていた(contaminated rice balls)、と新たな主張をしたようです。

この場合、ローソンCaseと同様になりますが、食したおにぎりそれ自体を検査できないので、お店等の協力を得て、そのおにぎりに使用した米や具材を特定し・・・と、可能性は指摘できても、証拠の優越の程度にそれを証明するといのうが、なかなか難しいのではないかと思います。

■ 食べ物の汚染と侵入経路の立証

侵入経路の証明は、そうした可能性を指摘するだけでは足りず、証拠の優越の程度で「ありうる」ことを証明しなければならないことは、両ケースの原処分のパネルが指摘しているところです。

食べたものに禁止物質が入っている可能性を証明するのはかなり難しいです。
そもそも、記録をとっておかなければ、2か月前に何をどれだけ食べたか思い出すことは難しいです。
仮に、何を食べたかを記録しておくとしても、日々食べたものの一部を保管しておくことは困難です。特に競技会外検査はいつ実施されるか分かりませんので。

主張は安く立証は難し、というところでしょうか。

ローソンCaseでは、専門家証人のほか、テリヤキ牛丼を食べた証拠や同席した人の証言、肉牛の流通過程等が証拠として提出されていたようです(AIUはさらにそれが調理に使われた詳細な記録の提出を求めていたようです)。

いずれの事案も禁止物質が極めて少量で、競技に影響はないものと思われ、それぞれのパネルは、軽減する方法で検討しようと努力し、提出された証拠を検討していました。

CASにおける結論は対照的ですが、ローソンCaseは原処分時にだいぶ経路が特定されている印象を持ちましたので、CASパネルがどのように経路の認定をしたか、証拠評価をしたか、興味深いところですし、今後の同種事案の参考になるのではないかと思います。

公開され次第、分析してみます。

弁護士大橋卓生