Lawson Case : CAS 2019/A/6313


以前にざっとまとめた、陸上のローソン選手のドーピング違反に関するスポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定が公開されていました。

この裁定の内容について、賛否両論あるるようなので、CASの裁定書を読んでみました。

《概要》

2018年 4.11 ドーピング検査→陰性
5.20 セイコーゴールデングランプリ(大阪)に出場
(ドーピング検査→陰性)
6.2 米国アーカンソー州スプリングデールにて、競技会外検査実施
6.14 上記競技会外検査で採取したA検体からEpitrenbolone検出
6.21 USATFナショナルチャンピオンシップ(米国)に出場
7.13 ラバト(モロッコ)にて大会出場
7.17 ソットヴィル・レ・ルーアン(仏)にて大会出場
7.22 ロンドン(英国)にて大会出場
8.3 国際陸上連盟のAthletic Integrity Unit(AIU)が選手に陽性通知
    →暫定的資格停止
8.9 B検体の検査が実施され、A検体の結果を追認
8.20 AIU→選手にB検体検査結果を通知
9.7 AIUにて選手の聴聞実施
(この間、AIU-選手間で証拠のやりとりなど)
2019年 2.27 AIU→選手に懲戒手続の通知

ローソン選手の主張としては、検査の19時間前の6.1のランチにアーカンソー州フェイエットビルにある経営のレストランで食べたテリヤキ牛丼(Teriyaki Beef Bowl)の牛肉に禁止物質が混入していた、というもの。

《処分の法的枠組み》

Epitrenboloneは、ステイロドのTrenboloneの代謝物で、Trenbolonは非特定物質です。

本件では、非特定物質が検体から検出された違反(2.1)と禁止物質の使用(2.2)違反に問われました。この場合、次のような流れで処分が決定されることになります。

  1. ベースとなる資格停止期間の決定

これら違反に適用される処分としては、WADCでもWA(IAAF)のADRでも、10.2の次の規定が適用されます。

The period of Ineligibility to be imposed for an Anti-Doping Rule Violation under Article 2.1, 2.2 or 2.6 that is the Athlete or other Person’s first anti-doping rule violation shall be as follows, subject to potential reduction or suspension pursuant to Article 10.4, 10.5 or 10.6:

10.2.1 The period of Ineligibility shall be four years where:

(a) The Anti-Doping Rule Violation does not involve a Specified Substance, unless the Athlete or other Person can establish that the Anti-Doping Rule Violation was not intentional.

非特定物質の違反の場合、アスリートが意図的に違反したものではないことを立証できない限り、原則4年間の資格停止となります。

  1. 減刑措置の適否

そして、この資格停止期間を減じるため、アスリートは、過誤・過失がなかったこと(10.4)や重大な過誤・過失がなかったこと(10.5)などを主張立証することになります。

過誤・過失がなかったことを立証できれば、資格停止期間は取り消されます。

重大な過誤・過失がなかったことを立証できれば、資格停止期間は、最大2年まで短縮されます。禁止物質の原因が汚染製品によるものであることまで立証できれば、資格停止期間のないけん責から2年間の範囲で処分が決まることになります。

こうした過誤・過失や重大な過誤・過失がなかったことを立証するためには、アスリートが18歳未満の未成年でない限り、禁止物質がどのように体内に入ったかを証明(「ソースの証明」)することが必須となります。

※ソースの証明について

現行WADCでは、ソースの証明は減刑措置を適用するために必須とされています。

議論があるのは、上記1のベースとなる資格停止期間の決定に関する10.2.1(a)において、競技者が違反が意図的でなかったことを証明するにあたり、ソースの証明が必要か否かです。

この点に関してJSAAで過去に研究成果が発表されていますが、研究時期が早く、十分な事例が集まっていない印象です。

CASにおいては、次の二系統が見られます。

①ソースの証明を必要とするもの
CAS 2016/A/4377,CAS 2016/A/4662,CAS 2017/A/5248, CAS 2017/A/5295, CAS 2017/A/5335, CAS 2017/A/5392, CAS 2018/A/5570など

②ソースの証明は必ずしも必要としないもの
CAS 2016/A/4534,2016/A/4676,CAS 2016/A/4919。なお、いずれもレアケースです。

本件では、原処分をしたSports Resolution(”スポレゾ”)でもCASでも②を採用することを明言しています。

スポレゾでは、10.2の規定には、ソースの証明が必要とは書かれていないことを理由にしていました。

本件のCASパネルは、4534事件が用いた”corridor”やUlrich Haas教授等の “Breaking Down the Process for Determining a Basic Sanction Under the 2015 World Anti-Doping Code”の次の一節等を引用しており、②を採用しています。

“in the context ofArticle 10.2.3, panels are offered flexibility to examine all the objective and subjective circumstances of the case and decide if a finding that the violation was not intentional.”

もっとも、ここは、2021年に改正されるWDACで、10.2.1.1(現10.2.1(a))のコメントとして次のとおり明記されることになります。

While it is theoretically possible for an Athlete or other Person to establish that the anti-doping rule violation was not intentional without showing how the Prohibited Substance entered one’s system, it is highly unlikely that in a doping case under Article 2.1 an Athlete will be successful in proving that the Athlete acted unintentionally without establishing the source of the Prohibited Substance.

ソースの証明は必ずしも必要ではないが、2.1違反でソースの証明なくして意図的でなかったことを立証することはほとんどありえない旨書かれています。

《争点》

2.1・2.2違反に争いはないため、次の点が争点になりました。

  • 意図的な違反か否か
  • 過誤・過失がなかったか否か

これはいずれも、「なかったこと」をアスリートが証明しなければなりません。アスリートにとっては相当に重い立証の負担になります。

《主な証拠》

原審とそれほどかわりありません。

アスリート側の主な証拠は以下のとおりです。

  • テリヤキ牛丼のレシート、購入を確認できる銀行口座の記録、ランチミーティングをセットしたMs. Alexis MacCainとのメールのやりとり
  • 世界で一流の毒物学者の一人であるDr. Pascal Kintz(専門家証人)が実施したローソン選手の毛髪鑑定結果
  • 生化学者Dr.Helmut Zarbl(専門家証人)
  • National Beef Packing Company(テリヤキ牛丼の牛肉の仕入先)からレストランが受領したパック詰めされた牛肉の写真
  • レストランの共同経営者の証言(テリヤキ牛丼の牛肉はPerformance Food Groupから提供された非有機のNew York Strip Steakである旨)
  • コーチやエージェントの証言(ローソン選手の信用性)
  • 元FBIのポリグラフ主任Mr. Kendall Shull(専門家証人)によるローソン選手の供述のポリグラフ検査の結果(CASでの新証拠)

AIU(WAのアスリート・インテグリティ・ユニット)側の主な証拠は以下のとおりです。

  • モントリオールのWADA認定分析機関のディレクターProf.Christiane Ayotte(専門家証人)
  • 牛に詳しいProf.Bradley Johnson(専門家証人)

《CASパネルの判断》

スポレゾもCASパネルも、前述のとおり、10.2.1(a)の意図的でなかったことを証明するのに、ソースの証明は必ずしも必要ではない、との解釈を採用しました。

スポレゾの判断

スポレゾは、②の解釈を前提にしましたが、ローソン選手が禁止物質のソースを特定し、それを前提に主張を組み立てていることから、結局、ソースの証明の成否で判断しています。

スポレゾでは、ソースの証明について、ローソン選手が食べたテリヤキ牛丼にはドーピング違反となるソースが入っていたか否かに絞られました。

この点、スポレゾは、食べた肉ないし同じパッケージに入っていた肉を検査することができないことは、ローソン選手に全く非がないとしつつ、単なるソースの可能性ではなく、証拠の優越の程度(50%を超える程度)にありうることを立証する必要があるとしました。

決め手となったのは、AIU側の専門家証人でした。

牛に詳しいJhonson氏の主な証言は・・・

  • 米国ではTrenboloneの使用は厳格に規制されている
  • 肉の残留物を監視している米国農務省食品安全検査局は、Trenboloneに関する違反に言及したことはない
  • ローソン選手に検出された濃度のTrenboloneが検出されるためには、テリヤキ牛丼用の肉となる最長筋(牛の後身の背中部分)に直接Trenbolonをインプラントしなければならい。しかし、これは非生産的である。なぜなら、この方法ではインプラントした部分付近にしか効果が現れないし、最も経済的価値のある最長筋を傷つけ、価値を落とすことになるからである(このため全身に行き渡るよう耳からインプラントする)
  • 最長筋に直接インプラントすることは皮膚や関連する組織を貫通させなければならず、かなり難しい
  • インプラントの流れで背中にアクセスすることはない。文献で誤ったインプラントが報告されているが、耳の違った部分や汚い耳に汚い針を刺すなどで、牛の身体に誤ってインプラントした例は報告されていない
  • 最長筋にインプラントした肉があれば、かさぶたや傷が残っており、流通過程で発見される

WADAラボのAyotte氏の主な証言は・・・

  • Trenboloneは、WADA認定分析機関で最もよく報告されるアナボリックステイロドの1つである
  • Trenboloneは米国の農業で広く使用されているが、肉に入っていた事例は報告されていない
  • 2013〜2018年の5年間で12万5000件の検査でTrenboloneが検出された例は、16件で、うち14件は他の禁止物質も検出されており、2件は米国由来のものではなかった
  • 科学文献によれば、牛に200mgもの過剰なTrenbolone(各耳に5回投与するなど)を与えた場合でも、肉に残るのは最大0.32ng/gであり、ドーピング検査でローソン選手に出た量のTrenboloneが蓄積されるには、8kg〜24kgを食べなければならないこととなる

これに対し、ローソン選手の証拠については、毛髪鑑定は1回限りの禁止物質の使用を排斥しないし、Dr.Zarblは生化学者のなのに、ローソン選手の過去のドーピング検査歴(すべて陰性)やリスクテーカーではないことなど専門外のことしか証言していないなど採用されませんでした。

ローソン選手は違反が意図的でなかったことを証明できていないとして、4年間の資格停止としました。

CASパネルの判断

まず、科学的な証拠についての議論から入ります。

ローソン選手側の証拠のうち毛髪鑑定やポリグラフ検査の件について、証拠価値の限界を認めつつ、毛髪鑑定については完全に排斥すべきではないとします。

メインの争点に関わる4人の専門家証人については、いろいろと難癖をつけます。

AIU側の牛に詳しい専門家証人Prof. Johnsonとローソン選手側の専門家証人Ms .Hitt(CASで登場した対Joshonson用の専門家証人と思われます)について、CASパネルは、アメリカの食肉産業政策の賛成者と反対者であるという印象を持ったようです。

また、アスリート側のDr. Zarblについて、スポレゾに続き、CASパネルも証拠の常識的評価からかけ離れているとして不採用にしました。

そして、WADA認定分析機関のDr. Ayotteについても、原審において彼女がラボで測定したTrenboloneのレベルは常に低く、意図的な違反者とホルモンで汚染された食物に含まれるピコグラムのレベルで測定されたアスリートとを苦熱することができないと述べていたが、実際は、彼女のラボで測定されたレベルは大きなものもあった。

パネルは、結局、これら専門家証人の誰も科学的にローソン選手が食べた肉に含まれていたTrenboloneを定量化できないとしました。

しかし、CASパネルは、科学的には科学的には50%に満たない可能性だとしても、ローソン選手が最善の証拠を獲得するためのすべての努力を無にしてしまうことはあまりに不公平で過酷過ぎるとして、検討に移ります。

こうして、CASパネルは、スポレゾとは異なるアプローチをとるとして、4534事案が言及した”corridor”を模索する感じでした。ちなみに、4534事案は、こんなことを述べています。

“when an athlete cannot prove source it leaves the narrowest of corridors through which such athlete must pass to discharge the burden which lies upon him.”

パネルは、この”corridor”は、処分を回避しようとする意図的にドーピングをするアスリートに極めて狭いものでなければならないが、意図せずにドーピングをしたアスリートには関連する証拠を用いて自身の無罪を証明する機会が与えられる程度には広いものである、というような解釈をしました。

CASパネルは、原審が要求した”現実の証拠”(食べた肉の検査結果)の提出は、本件において事実上不可能であるとします。その原因を作ったのは、6.14にA検体陽性と判明したのに、ローソン選手への通知が約2か月後と遅かったことが原因である、としています。

米国ではTrenboloneを人に使用することは重罪にあたる刑罰を持って禁止されており、人に対する効果の研究は許されるはずもなく、結果、ローソン選手の体内にどのくらいの量のTrenbolonが残るかについて信頼できる研究は提示されていない、と認定しました。

CASパネルは、ローソン選手側が現実の証拠を提出することが不可能になったのは、WADAC等で”速やかに通知”しなければならないA検体陽性の通知に2か月かかったことが原因だ、というローソン選手の主張も認めています。

CASパネルは、ローソン選手がいかにクリーンなアスリートであるかを、トレーニングや競技へのアプローチ、チート故意に対する嫌悪を抱いていること、非の打ち所のない経歴などローソン選手自身の証言から認定し、これを裏付ける証拠治してポリグラフ検査やコーチ・エージェントの証言を採用します。

以上のようなことを踏まえて、すべての証拠と証言を慎重に検討した結果、CASパネルは、ローソン選手の説明は、証拠の優越の程度にTrenolonを含む可能性があることを認めました(裁定書ですが、この結論は検討途中に突然出てくるのですが)。

 

読んでみた感想ですが、まず、判断の流れがわかりにくいです。10.2.1(a)の検討しているものと読んでいたら、結論で、急に10.4の適用を認めるという感じでした。

それはおくとして、内容ですが、賛否両論あるというのも理解できるものでした。特に、科学的な証拠の排斥がやや強引に感じました(Dr. Zarbl除く)。

真面目な選手なので救いたいので、科学的な証拠を落とさないとならないのは分かりますが、corridorをこじあけて通したような印象を持ちました。

とはいうものの、アスリートが負っている証明責任の負担を考えると、本件のような日常生活の中で消費してしまう食べ物の汚染事案は、汚染サプリメントよりソースの証明が難しいように思います。食品衛生が杜撰な国であればともかく、食の安全が高い国で起こった場合は証明のハードルが上がることは理解に難くありません。

難しい問題ですが、このCAS裁定はバランスを欠き、かなりアスリートよりに判断したように思われます。おそらく、食物汚染で現物が検査できないという事案は、レアなケースではなく、ありうるケースではないかと思います。

LawInSportsでこの件について賛否両論意見が出されています。

  • Jonathan Taylor 弁護士は反対意見を述べています。
    裁定の論理の不整合やCAS先例との不整合など本件のCAS裁定を読んでいて?となった点について的確に指摘している印象です。少し厳しすぎる感じを受けました。
  • Lyndsay Brandon弁護士及びHoward Jacobs弁護士は賛成意見を述べています。
    汚染食物やキス汚染などCASやIFの先例が認めてきた証明のレベルからすれば、本件はそれらと変わらないという趣旨の意見です。

本件のCASパネルも指摘していましたが、意図的にドーピングをしている者とそうでない者とを区別し、そうでない者には処分を軽減したいということは人の心として理解できます。しかし、現実には、両者を簡単に区別できません。

そこにこの問題のジレンマがあるように思います。

2021改正WADCでは、10.2.3に規定されている”intentional”の定義に含まれる”who cheat”が削除されます。新しい定義の印象としては、日本の民法でいう「悪意」(事実をしっていること0のような内容のように感じました。そうなると、ずるさや真面目さという価値観は、”intentional”の定義に入れづらくなるように思いました。

それはそうと、もしこの仲裁パネルが、汚染おにぎりを食べたことがソースと主張した藤森選手の事案を担当していれば、過誤・過失なしと判断されたのかもしれません。原審のFINAパネルでさえ、藤森選手の真面目さに、決定書の冒頭でCASになんとか減刑してくれと書くくらいでしたから。

藤森選手のCAS裁定が公開されたら、本件の判断と比較したいと思います。

弁護士大橋卓生